国語には才能が必要?
中学受験の国語・大学受験の現代文について、皆様はどのような印象をお持ちでしょうか。勉強しても意味がない。先天的な才能がモノを言う科目だ。そのようにお感じの方が多いのではないかと思います。
しかし、それは誤解です。中学受験の国語も大学受験の現代文も努力すればきちんと伸びる科目です。なぜなら、「入試問題を解くための手法」を身に付ければだれでも正しい答えを導けるようになるからです。
受験国語の問題解法例
一例を挙げましょう。「傍線部①の理由を答えなさい」という問題に対するアプローチです。たいていの場合、素直に理由を考えてもわかりません。それでわかるのであれば、あまりに簡単すぎて全受験生が解けてしまうので、学力差を計れないからです。ではどう解くか。まず傍線部①と同じことを述べているところ、つまり傍線部①とイコールの内容(これを便宜的にXとします)を文中から見つけます。そして、Xの近くを見てみると、多くの場合その理由(Yとします)が書かれているのです。また、傍線部①とXはイコールなので互いに置き換えることが可能です。これらを式でまとめると以下の形になります。
これで答えがYだとわかりました。選択肢の問題であればYと同内容のものを選べばよく、記述の問題であればYをそのまま書いてしまえば得点できます。(ハイレベルな学校の問題では、そのまま書いても加点されずもうひと手間加えなければならないケースもあります)
このような答えの導き方を習得していけば、入試問題はもう恐くありません。むしろ答えを出すことが楽しくなっていくでしょう。その結果、点数も面白いほどに伸びていくのです。
当塾は受験国語対策に徹します!
ところで、なぜはじめに述べたような誤解が生まれるのでしょうか。それは「学校教育における国語」と「受験の国語」を混同してしまうからだと思います。学校教育における国語では、答えを出すこと以外のことも大切にします。例えば日本人として知っておくべき名作に触れること。美しい文学を味わうこと。あるいは道徳教育。いずれも大切なものです。しかし、答えを出すことが目標となる受験の国語とは性質が異なります。
この両者を混同すると、方法論を身に付ければ伸びる受験の国語を捉えどころのないものだと勘違いしてしまい、勉強しても伸びない科目だと誤解してしまうのでしょう。実は、受験産業の先生の中にも学校的な国語指導をなさる方が多くいらっしゃいます。それがとても大切なものである以上、お気持ちは痛いほどよくわかります。
しかし、私は自分の領分を守り、受験国語の指導に徹します。それによって、受験生の得点力を伸ばすこと、そして合格の栄冠を勝ち取ることに貢献したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。